治京 祐

『私の夢』 治京 祐

治京 祐

ぼくは、2才の時から、両親とはなれて、施設にいました。そして、5年生までずっと家に帰って兄弟とすみたいと思っていました。

そして、5年生の終りに帰れると、言われて、とてもその時は、うれしかったです。けれども、6年生から家でくらすことは、とても難しい事でした。なかなかうまくいかず、ぼくが思っていた以上にとても、家でくらす事が、しんどい事だった。家で怒られ外に行かしてもらえなかった。

ぼくは、野球がとても大好きで、小さい頃からずっと一人で、かべにボールをぶつけて遊んでいた。とにかく、毎日一人でも、外で野球のボールで遊んでいた。そして野球が好きだけど、なかなか、教えてくれる人もいなくて、あまり基礎の練習なども、わからなかった。だけど、ぼくの、お父さんが、とても野球が上手で甲子園に、高校の時でたことがあると、お母さんから聞いて、とてもぼくは、うれしくて、たまらなかった。だけど家に帰って、お父さんに教えて、もらおうとしたけど、なかなか、お父さんも教えてくれなかった。それどころか、ケンカをお父さんとした時は、外にも、出してもらえなくて半年くらい、ずっと外で野球をさしてもらえなかった。

ぼくは、野球がとても、したかったので、学校の放課後で残って野球を、ずっとしていました。だけど、その事も、バレて、もう学校にも、行かして、もらえなくなった。だけど学校の担任の先生が来てくれて、なんとか、学校には、行けるようになった。そして、その事があって学校から児童相談所という所へ話をしに行った。だけどお父さんもお母さんも受け入れなかった。そして、とうとうもう、ぼくも家にいられなかったし、イヤだったから、池島寮に来ました。今年来て、まだあまりたってないけど、ぼくが一番やりたくて、できなかった事(野球)を今一番中学校のクラスでがんばっています。

ぼくの将来の夢は、まず一つ家には、帰れないけどお父さんお母さんにもう一度会ってみたい事です。そして一番好きな野球選手になる事です。そして、もしアメリカに行けるなら、いろいろ大家友和選手にピッチャーの事を教えてもらいたいです。ぼくは、ピッチャーだけど、まだまだへただから、いろいろ教えてもらいたいです。