上村 紫衿

『私の夢』 上村 紫衿

上村 紫衿

私の夢は、水泳選手です。

水泳選手になろうと思った理由は北島康介選手の平泳ぎをテレビで見た時でした。水泳のオリンピックを見た時、北島選手が1位でした。北島選手が泳いでいる時応戦しているお客さんが一生懸命でした。北島選手はお客さんの応援で頑張っているんだ、だからその一生懸命な所、頑張っている所をまねして行きたいと思いました。それと柴田亜衣選手も水泳の選手です。柴田選手は、負けても負けても挑戦して泳いでいました。その頑張る姿を見た時、この人はすごく水泳が好きなんだなと感じました。私は柴田選手に負けないぐらいの選手になりたいです。他にも水泳選手はたくさんいます。そんな選手達の努力を見習いたいです。

私は幼稚園の頃から、プールでもぐって遊ぶのが好きでした。小学校では、プールが広くて深いからもっと水で遊ぶのが好きになりました。小学4年の時、YMCAのスイミングスクールに通い始めました。その時から、水泳が好きになりました。5年生の時、初めて水泳の大会に出ました。初めてだったので緊張で周りの事は覚えていません。私が出た種目は、クロールと平泳ぎでした。クロールと平泳ぎは、2位で終りました。最後に全員リレーに出ました。最初は、最後から2番目でした。私は、アンカーでした。私の順番が来て私は泳ぎました。私はいつのまにか4人もこしていました。その時、応援席から先生が私を応援してくれていました。私はすごくうれしかったです。そのあとリレーは、2位で終わりました。自分の学校のテントに行くと先生が「よく頑張った。速かったぞ。」と言われました。私は、初めて水泳の事でほめられ自信がつきました。

中学校では、本格的に水泳をしました。クロール、平泳ぎをしました。水泳が、終わって帰ろうとした時、体育の先生から呼ばれました。先生は、夏にある町の水泳対大会に出てほしいとの事でした。私は出る事になりました。試合当日、まだ試合は2回目だから、ちょっと緊張が高まりました。泳ぐ順番がきました。でも、その競技では、一番遅かったです。私は努力が足りないんだ、実力不足なんだと思いました。でも、私は自分を責めません。責めたって何もかわらない。自分の努力、頑張り、自分を信じて選手達は試合に出てると思います。

愛児園の水泳大会で、私は新記録を出しました。私がこの大会で、心に残っているのは個人メドレーです。メドレーと言っても愛児園の場合背泳ぎからスタートです。相手は、高1の男の人でした。その結果、努力がみのりました。その後、栄ホームは優勝しました。うれしくてたまりませんでした。

そして今、YMCAスイミングスクールでは、一生懸命練習しています。個人メドレーの200m、クロールの100m2本、平泳ぎ100m2本、背泳ぎ100m2本、バタフライ25m8本、そしてプルだけとか、キックだけとかいろいろやっています。まだまだ頑張ろうと思いました。そしてこの大家友和選手のチャリティーツアーの応募案内を知りアメリカで大家友和選手の頑張る姿を生の目で見たい。直接会って話を聞きたい。選手だからどう頑張っているのか知りたい。骨折してもリハビリして復活した大家選手の頑張りをこの目で見たいと思いました。そして、今後の自分に大家選手の努力、頑張りを生かして行きたいと思いました。

そして、みんなの目標になるような水泳選手になりたいです。