牧野 清志郎

『私の夢~少年野球への思い』 牧野 清志郎

牧野 清志郎

僕の将来の夢は、少年野球チームの監督になることです。

 僕は今、中学校野球部の二年生として活動しています。僕が野球を始めようと思ったのは、小学校一年生の時、僕より二つ上の友達に「野球は楽しいよ!」と言われたのがきっかけでした。そして、僕は少年野球を始めました。が、はじめのうちはほとんどさぼってばかりでした。

 三年生の時、チームができあがり、やっとキャッチボールがまともにできるようになった頃、野球人生で初めての「試合」をしました。相手チームは女の子だけのチームだったのに、ピッチャーがフォアボールだらけで惨敗でした。この試合で始めて野球の難しさを思い知らされました。僕たちは、その後猛練習をしました。その結果、四年生の最初の大会では初優勝を手にすることができました。でも、その年の夏に、チームで一番優しいコーチが突然亡くなってしまいました。僕はそのコーチがすごく好きでした。基本的なプレーは全てというくらいそのコーチから教わりました。たとえば「バットは水平に振る!」また「ミスをした時には声を出せ!」などと、今思えばすごく単純だけどとても大事なことです。また、同じ年に、レギュラーのバッテリーを含めた六人がチームを抜けてしまい。僕はある子の親に「みんなやめていくからやめたいならやめれば?」と言われましたが、僕は「オレはオレの道を行く。オレは人にはついて行かない!」と少し強がりながらもそのチームに残ることにしました。

 五年生の時には、練習の日は朝早くから夜遅くまで、汗だくになって必死の思いでがんばりました。でも、やはりその年の成績はあまりよい結果を残すことができませんでした。そしていよいよ、少年野球最後の年、僕はチームの四番をまかされました。六年生になって最初の大会、僕たちは順調に勝ち進みました。そして、決勝戦。僕たちは先取点を取られたものの、五回の裏に逆転をし、優勝することができました。その後のいろいろな大会でも入賞することができました。また、僕も四番という打順に誇りを持てるようになりました。そして、最後の大会予選、僕たちはみごと優勝し、県大会への切符を手にすることができたのです。そして県大会、僕は初打席に二塁打を打つことばできました。チームもその波に乗り初戦を突破。僕たちはチーム一丸となり準決勝までコマを進めました。そして、県大会三位というすごく優秀な成績を残せたのがとてもうれしかったです。

 そして少年野球最後の日。この「卒業式」でだけは忘れません。卒業式が終わって家に帰ってきてから、僕は少年野球でのつらかったこと、悲しかったこと、うれしかったことを思い出していたら自然に涙があふれ出してきました。今までにない不思議な気持ちになりました。

 僕は卒業した後も、少年野球チームに何度か顔を出し、子供たちにいろんなプレーを教えに行きました。その時に僕が教えていた子供たちが僕が言っていることに対して真剣な目で僕の目を見つめながら返事を返してくれました。僕はその時に「子供に野球を教えることはこんなにもやりがいのあることなんだ。」と思いました。その時に僕の将来の夢は、自分で少年野球チームを作り、チーム一丸となって勝ちとったときの「勝利」に対する喜びを分かち合ったり、また、いつでも見守ってくれている親や監督に対して「感謝」の気持ちを常に持ってプレーすることのできるチームをつくり、僕が少年野球で学んだことはもちろん、それ以上の経験のできるチームを築き、僕の所属していた少年野球チームと僕の作った少年野球チームで戦うことです。

 最後に、僕が作ったチームでプレーをした子供たちが「このチームでプレーをすることができてよかった。」と心から思えること、そして、「野球の楽しさ」というものを学んで卒業をすることができるようなチームを作りあげることが僕の夢です。