本多 翼

『私の夢』 本多 翼

本多 翼

 僕の夢はバスケットボール選手になることです。

 バスケは、僕が好きになり、夢にした時まで、あまりさかんではなかった。

 それは、サッカーと言う人気的なスポーツがあったからです。

 僕は小さいころから運動をする事と、人とちがう事をするのが好きだった。

 でもその時までは「サッカー」というスポーツしか知らなかったから、なにかちがう遊びをしたいなぁと思っていました。その僕を変えたのは月日は流れ小4のころである。

 ある一人の大人が、「シーブラック」というホーム内のバスケットクラブを作った。

 その時から、僕の心は変っていった。

 体力づくりとして入ったつもりが、つい本気になり小6の時には、もう好きになっていた。

 そしてバスケ部のある学校へ入学した。

 そこは、かなりではないが、自分的についていけるか心配になるほどだった。でも実際はそんなことはなかった。それは入部した人で一番うまいのはオレだったからだ。

 そしてもっとバスケが好きになった。

 しかし、一年の夏、僕は「一番うまいし、練習をかるくしても平気だよな。」ときどっていたら、秋になってあっというまにぬかされてしまった。それに気づいたオレは負けじと練習した。

 二年になって、ついに大きな壁を見つけた。

 それは、オレと同じポジションのヤツがくそうまいという事だった。しかも同級生!

 なんとかして超えたい!でもどうすればいいかわからない。どうすれば、どうやればアイツを越すことができるのか。ものすごく不安がつのった。

 そこでこのアメリカの招待の紙を見つけて、これだ!と思った。

 ここに行けば壁のたおしかたがわかるかもしれないと思った。

 それがアメリカへ行きたいと思った理由だ。

 ここにはなにかがある、なにかを見つけ出すことができるかもしれない。そしてアイツをぬくことができればもっと上に行けるような気がする。そんな気がしてたまらない。

 バスケを教えてくれた大人は、いなくなってしまったけど、その人の恩がえしとして、自分の夢として、プロになりたいと思った。

 アメリカに行けなくてもいい。せめて、日本で活やくしたい。そのためにはこの壁をたおして、前へ進まなくちゃいけない。

 そうしないと、日本でもやれないかもしれない。

 でものぞみがあれば、オレはアメリカへプロとして行きたい。

 だから僕はアメリカへ行き、壁をどうすれば越せるのか。その答えがアメリカへある。

 それがアメリカへ行く理由のすべてである。もう一度言うが「オレはプロのバスケット選手になる!」それが僕の夢だ!