北浦 翔

『私の夢』 北浦 翔

北浦 翔

ぼくのしょうらいのゆめは、サッカーせん手です。

 なぜ、ぼくのゆめが、サッカーせん手かというと、前、チャリティーツアーに行ったぼくの兄、北浦涼兄ちゃんがきっかけです。
涼兄ちゃんは、毎日サッカーの部活に入ってて、休日の日も練習をしているから、ぼくは、そんな涼兄ちゃんにあこがれて、サッカーを始めました。もちろん、涼兄ちゃんといっしょにサッカーを始めました。ぼくは、部活をまだできなかったけど、二年生の時、涼兄ちゃんに教えてもらい練習して、少しずつせいちょうして、サッカーがうまくなって、いきました。そして、二年生の時も、練習をつづけていって、サッカーがうまくなって、涼兄ちゃんとのサッカーの強い差が近づいて来てし合をして、ときどき涼兄ちゃんに勝ったりしてサッカーをするのがますます楽しくなって、連取をしていって、どんどんサッカーがうまく、強くなっていきました。そして、ますます、サッカーがすきになって、さらにサッカーせん手になろうと思いました。
 

そして、一年がすぎていって、ぼくが三年生になった時、ぼくは、あることを思いつきました。「ただ練習だけしてもだめだから、友達をいっぱい作って、友達ともいっしょにいっぱい練習してどんどんサッカーが強くなろう。」と心にそうきめて、学校で友達といっしょに練習して、サッカーがどんどんうまくなっていきました。涼兄ちゃんとも練習して、サッカーがどんどん強くなっていきました。
また一年がすぎていって、ぼくは4年生になって、サッカーの部活に入って、友達といっしょにきついけどがんばりました。そして、何日かたっていって、先生に、「本当のサッカーせん手のきつさやがんばりは、これよりすごいので、サッカーせん手といっしょぐらいのがんばりでがんばってください。」と言われました。でも、「サッカーせん手の本当のがんばりや、きつさは、どのぐらいなのかな。」といつもふしぎに思っていました。


そしたら、大家せん手のチャリティーツアーの申しこみの紙がはってありました。
それで、ぼくは、「大家せん手のがんばりを見ならおう。」と思いました。
あづさお姉さんとしえりちゃんに「がんばって来てね。」とおうえんされて、勇気がわいてきて、作文を書きました。そして、アメリカに行って、大家せん手のがんばりを見て、そのがんばりを元にがんばって、


そして、もし、サッカーせん手になったら、そのがんばりをお手本にして、ぼくも大家せん手に負けないくらいがんばります。